"俺ガイル"を観て

2015年6月7日

俺も「本物」が欲しいなー



表向きだけ笑ってみせたり、上辺だけの言葉をつらつらと並べたり、誰かを指差して嘲笑ったり



そしてそれらを「本物」だと思い込んだり、"答え"がわかっているフリをしたり、後悔を怖れるあまり振り返られずにいたり








他人からバカにされ続けて、いずれ来る不明を知って、"答え"なんて無いかも知れないと逃げ出しそうになって、偽物の「本物」に身を寄せたくなって





俺の心底から出る「本物」の"本気"ですら、誰かに嘲笑われるんだとしたら…一体、誰のどれが「本物」なんだろう。

一緒に笑ってる友人?

一緒に過ごしてる恋人や伴侶?

自分が見つめる自分自身?









どんな理由があったとして、誰かをバカに出来るほど俺は子供じゃいられないのも、また現実なんだけど…

それでも、やっぱり「本物」はある、と思っていたいのは…俺が子供だからなんだろうか。










誰かを理解したい、理解しようと努力したいのに、誰にも理解されないのはどうしてなんだろう。

最期の最期まで、教えてくれない、許してくれない、理解してくれない。

…それなら最初から許しも救済も、理解される必要もない。
どうせまた誰も、きっと分かってくれないから。理解してくれないから。誰も教えてくれないし、許してくれないし、助けてくれないんだから。









それでも






助けてほしい、理解してほしい。
分かってほしい、許してほしい。

そういう、傲慢で素直で無様な"自己愛"の表返しの気持ちは確かに「本物」で、嘘じゃないことは、きっと俺だけじゃない、誰も一緒だと俺は思ってる。


だから、俺は誰かの主義や思想を理解したいし、困っているなら助けたい。
どんな傷みも辛みも許したいし、誰かが言っていることや、考えてることを誰よりも分かりたい。




こういうとりとめのない「綺麗言」…
「綺麗言」だと思わない人間が増えてくれればいいよね。



どこにも無いかも知れない、けど、俺があると思い続ける限り、あるかも知れない。

「100%じゃない」「0%じゃない」のバカげたパズル。
ゴールなんて無いかもしれない、そんな迷路に、無価値な言葉のピースで挑む俺は、誰から見てもきっと「バカみたい」なんだろうなぁ。




これだから俺って人間は、ホントに…ねぇ。

心が壊れても、いつか命が消えても、きっと考えることを止められないと思うわ。



どんなに考えても「本物」の答えが出ないんだとしたら…
どうして"人間"は、考えることを知ったんだろう










ほら、また考えてる…





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