幸福の在処

2013年11月9日
誕生日が近くなってきて、親に「なんかほしいもんある?」って訊かれて、はっと気づいた


俺、欲しいもんさっぱり無いわwwwww


思いつく限りのモノを考えても、「別にいらないかなぁ」とか「特に必要ないよなぁ」とか「このくらいだったら頼むようなもんじゃないよなぁ」と結論づけて、すべからく「不必要」のひと括りに収めてることに今、気づいたわwwwwwwww


「食えるものでも送ってくれ」と返せば「何が食べたい?」と訊かれ…

…別になんでもいーわwww


…あれ…?俺、今…「鬱陶しいなぁ」って思ったよな…?



…誕生日を覚えてはいるものの、そもそも欲しくて貰うようなモノもなければ、特に幸福を感じられる日ではないように感じてる気がするぞ。

というか、自分にとって確かに幸せと思える瞬間って…うぉい、何だかアレな話になってきたぞ!?wwwww


いっつもヘラヘラ笑ってばっかりなのに、別にやりたいことも欲しいものも特に無いから放っておいてくれ、と思う自分が、なんだか不思議で仕方ないぞ。

楽しいことなんて、いくらでもあるつもりなんだけど…
誰かにもたらされるものを遠慮、悪く言えば「過ぎたお世話だ」と心の端で思ってることが多いんじゃないかなー、俺。
極度に卑屈なのか?まぁ、「別に俺って、いなくても同じじゃね?」って、俺自身を必要としてないことを認識してたりはするけど。


こうして「必要」or「不必要」で俺自身を天秤に掛けたときにあっさりと「不必要」に振れるのは…生き甲斐が有る無しには関わらず、世の中に俺が生きるだけの理由を見つけられてないからじゃないかね。

「俺にはできない」

「出来る程度のことも、俺がやったところで誰も(自分自身も)意義を認めない」

「じゃあ、する必要もない、出来るようになる必要もない」

↑みたいなスパイラルが、人生そのものに適用されてるワケか…


あ、別に悲観してるワケじゃないのぜ?
はじめから言ってんじゃん、こういうのはバカやって笑って、自分勝手に解決できるもんだwwwww

俺が自分自身を必要としてないように、周囲の誰も俺を「不必要」とまでならなくとも、「必要ではない」と思ってるなら、なるほど色んなシーンで合点もいくね。

まぁ、このあたりはみんな考えてるコトなんだろう。
だからこそ、"自己の存在理由なんて追究するだけ無駄だ"と思ってる俺は、誰から見ても自分の存在理由を拒絶するような仇敵であり得るわけか。
"実際は他人がどう考えようが知ったこっちゃないんだけど"…ってのも、つまり、そういうことだな。


話が大いに逸れたwwwww



誕生日、かぁ…
やりたいゲームも無い、欲しいグッズも無い、素敵な彼女も安定した職もいらないし、それらを楽しむ心も、時間も…


ホント、何にも欲しくないわァ…つまりアレだ、幸福だってコトだ(適当)
実にエコノミーな人間じゃんよwwwww

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